水が育む森と、山に重なる祈りをたどる。
東京、埼玉、山梨、長野。一都三県にまたがる秩父多摩甲斐国立公園は、日本最大の都市圏のすぐ隣に広がる山岳地帯。
春を迎え、新緑が山々を覆い始めていた。静かで深い森の中を走り、渓谷を進んでいく。場所によって表情を変える山や渓谷を眺めていると、この土地が豊かな水を育む場所であることが分かってくる。
旅の途中では、ダムを目にする機会が多かった。最初は、雄大な自然の中に現れる巨大な人工物に戸惑いを覚えた。しかし旅を続けるうちに、その存在の意味が少しずつ見えてきた。
標高の高い場所から遠くを見渡すと、その先には無数の人々が暮らす街が広がっている。この森に降った雨は川となり、ダムに蓄えられ、やがて首都圏の暮らしを支える水となる。
自然と人の暮らしは切り離されたものではなく、見えないところで確かにつながっている。私たちは自然とともに生きているのだという、ごく当たり前のことを改めて感じさせられた旅だった。
基本情報
秩父多摩甲斐国立公園
指定:1950年7月10日
面積:126,259ha
エリア:東京都・埼玉県・山梨県・長野県
撮影時期:2026年4月下旬
撮影時間帯:朝から日没まで
目次
1. 水がつくり上げた渓谷の風景2. 山の暮らしと、狼への信仰
3. 富士山を望む稜線へ
4. 大都市の隣に残る森と祈り
5. 山開きの日の西沢渓谷
6. 霧に包まれた祈りの山
7. 自然と暮らしがつながる場所
1. 水がつくり上げた渓谷の風景
最初の目的地は、山梨県甲府市の昇仙峡。渓谷沿いを歩いていると、高くそびえ立つ奇岩が次々と現れる。その迫力に目を奪われるが、この景観もまた、水が長い年月をかけてつくり上げたものだった。
遊歩道を進んだ先には仙娥滝。岩肌を流れ落ちる水と、鮮やかな新緑のコントラストが美しい。
さらに近くの板敷大滝にも立ち寄った。こちらは人も少なく、滝のすぐ近くまで歩いていくことができる。水しぶきを浴びながら見上げる滝は迫力があり、しばらくその場を離れられなかった。
秩父多摩甲斐国立公園の旅は、豊かな水が生み出した景色との出会いから始まった。



2. 山の暮らしと、狼への信仰
翌日は西沢渓谷へ向かう予定だった。しかし、まだ山開き前とのことで立ち入ることができず、急きょ行き先を変更して秩父の三峯神社へ向かうことにした。
ダム湖沿いの道を走っていると、満開の桜が目に入った。思わず車を停めて写真を撮りたくなるような、美しい林道だった。しばらく走ると、また桜が現れる。もう今年は桜を見られないと思っていたが、こちらには今、春が来ていた。
周囲を歩いてみると、山の暮らしが垣間見えた。急斜面に寄り添うように建つ民家。畑を囲む獣害対策の柵。養蜂箱も並んでいた。厳しい自然環境の中で、人々が山とともに暮らしてきたことが伝わってくる。
そして再び現れたのが滝沢ダムだった。豊かな森に囲まれた渓谷の中で、巨大なコンクリートの壁が存在感を放つ。こんなものをつくってきた人間の力にも驚かされた。
三峯神社では、ちょうどシャクナゲが見頃を迎えていた。花の周りでは蜂たちが忙しなく飛び回り、せっせと花粉を運んでいる。境内にある三ツ鳥居の前には、神の使いとされる狼の像が鎮座していた。
三峯神社では狼を「お犬様」と呼び、古くから人々を守る存在としてきた。かつてこの地域にはニホンオオカミが生息していたとされ、農作物を荒らす獣を追う存在でもあったことから、山の守り神として敬われてきたという。
険しい山々は、人々に恵みをもたらす一方で、時に脅威にもなる存在。だからこそ山を神として畏れ、その中に生きる狼にもまた、特別な存在を見いだしたのだろう。
美しい社殿の前には、大きな御神木が立っていた。狼が山を駆けていた時代、この場所にはどのような景色が広がっていたのだろう。境内を歩きながら、自然から生まれた信仰の面白さを感じていた。




3. 富士山を望む稜線へ
日本百名山のひとつ、大菩薩嶺へ向かった。
カラマツやイラモミの木々が並ぶ登山道を登っていくと、目の前に富士山が姿を現す。甲府盆地の向こうには南アルプスの山々も連なり、思わず足を止めたくなるような景色が広がっていた。
人気の山なのだろう。登山道には多くの人の姿があった。富士山を背に記念撮影をする人たち。「これは撮りましょうよ」と声を掛け合いながら、お互いに写真を撮り合う姿に、ほっこりとする。
そんな穏やかな時間が流れていたが、山の天気は変わりやすい。気づけば周囲には雲が立ち込め、先ほどまで見えていた景色は白く包まれていった。
稜線が続く開放的な景色も、雲に包まれた幻想的な景色も、どちらもこの山らしい美しさだった。
下山して、冷たい湧き水をいただく。山の恵みを受け取りながら、次の場所へと車を走らせた。



4. 大都市の隣に残る森と祈り
友人と合流し、檜原村を抜けて神戸岩へと向かった。
ジュラ紀のチャートでできた高さおよそ100メートルの岩壁が、両側から迫るようにそびえ立つ。カメラを持って歩くには少し怖いほど滑りやすい岩場を、鎖を頼りに一歩ずつ足を進めていく。
水と岩と木々。足元を流れる清流は透明で、川魚が泳ぐ姿も見えた。
自然が好きな友人と、国立公園の話やお互いの近況を語りながら昼食をとる。旅をしていると、全国各地で新しい出会いがあり、そして再会もある。旅の醍醐味だと思う。
友人とそこで別れて、武蔵御嶽神社へと向かった。時間がなかったため、ケーブルカーで一気に山上へ。
集落へ入ると、民家の間から飛び出すように巨大な欅が姿を現した。樹齢は推定1000年。長い年月、この山を訪れる人々を迎えてきたのだろう。
山の上に広がる集落を見て、なぜこんな場所に人々が暮らしているのだろうと不思議に思った。後で調べると、ここには「御師」と呼ばれる神職の家系が、代々武蔵御嶽神社を守りながら暮らしてきたという。
御岳山もまた、古くから山岳信仰の対象となってきた修験道の霊山である。さらに、狼の神である大口真神が「お犬様」として祀られていることから、犬と一緒に参拝する人の姿も見られた。
境内からは、大都会・東京の景色が広がっていた。深い森と信仰の歴史が残るこの山と、無数の人々が暮らす都市は、意外なほど近い場所にある。都会の喧騒を離れ、ひと息つくためにこの山を訪れる人も多いことだろう。
柔らかな光が差し込む夕暮れ時、翌日に山開きを控えた西沢渓谷へと車を走らせた。

-2-1024x682.jpeg)

5. 山開きの日の西沢渓谷
山開きを迎えた西沢渓谷は、多くの人で賑わっていた。入口では、地域の方々が振る舞うお餅や甘酒、水をいただく。山開きならではの温かいもてなしが嬉しい。
花崗岩を長い年月をかけて水が削り出した渓谷は、想像以上に雄大だった。深い青色の水が勢いよく流れ、その先にはいくつもの滝が現れる。
歩みを進めるたびに特徴的な景色が続き、見どころの尽きない道だった。ゆったりと渓谷美を楽しみ、美味しいお餅を頬張る。
帰り際には一匹のリスが姿を見せてくれた。心癒される一日だった。



6. 霧に包まれた祈りの山
この旅、最後の目的地は金峰山。標高2,599メートル。奥秩父を代表する日本百名山のひとつである。
この辺りはロッククライミングでも知られる場所で、麓から大きな花崗岩の岩壁が広がっていた。
森へ足を踏み入れると、シラビソやコメツガといった亜高山帯の針葉樹林が続く。今回の旅で見てきた森とはまた違う、静かで厳しい雰囲気をまとった森だった。
まだ雪が残る場所もあり、慎重に、そして少しだけワクワクしながら歩みを進めていく。
標高が上がり、背の高い木々に囲まれた世界から、突然、低木と岩塊が点在する景色へと変わった。
山頂に立つ五丈岩は、不思議な形をした巨大な岩だった。その足元には小さな鳥居がある。金峰山もまた古くから山岳信仰の対象となってきた山であり、神聖な場所として大切にされてきた。
この日は一日を通して霧が立ち込め、寒さも厳しかった。しかし、その白い霧に包まれた風景はどこか神秘的で、人々が古くからこの山に特別なものを見いだしてきた理由を感じさせてくれるものだった。
険しい山の先で、自然への畏れと祈りの跡に触れる。それが、秩父多摩甲斐国立公園を巡る旅の最後の景色となった。




7. 自然と暮らしがつながる場所
水は都市へ流れ、森は暮らしを支え、山は人々の信仰を育んできた。秩父多摩甲斐国立公園を旅していると、自然と人の暮らしが、さまざまなかたちでつながっていることに気づかされる。
渓谷を流れる水。山の中に築かれたダム。急斜面に寄り添うように続く暮らし。そして、山や狼に向けられてきた祈り。そのどれもが、この土地で人が自然とともに生きてきた時間を伝えていた。
大都会のすぐ隣にありながら、森に入れば深い静けさがあり、山の上には長い信仰の歴史が残っている。境内から遠くに広がる東京の街を見たとき、自然と都市は思っていたほど離れたものではないのだと感じた。
私たちが普段使っている水も、山から吹いてくる風も、遠く離れた自然から届いている。自然から離れて暮らしているように感じていても、その恵みなしに暮らしていくことはできない。
秩父多摩甲斐国立公園は、自然と人の距離が近い場所だった。雄大な景色を楽しむだけではなく、今の暮らしが何によって支えられているのかを、改めて考えさせてくれる旅となった。


National Park Photographer/Videographer
Ryuhei Hata | 秦 竜平
学生時代に旅したアメリカの国立公園での経験が、自然を記録する原点となる。現在は、雄大な自然の中で人が暮らし、文化が育まれてきた日本の国立公園に魅力を感じ、その風景を写真・映像で記録している。


