美しい自然の風景と、そこに重なる記憶をたどる。
三陸復興国立公園は直線で約250km。宮城から岩手、そして青森へ。海岸線をなぞるように北上していく旅だった。
これまでにも、いくつもの国立公園を訪れてきた。自然に癒され、その土地の暮らしや文化に触れながら、少しずつ理解を深めていく。けれど、三陸復興国立公園では、それとは少し違う感覚になることが多かった。長く続く雄大な断崖に圧倒される一方で、この地域で繰り返されてきた自然の脅威を考えずにはいられなかった。
250kmの道のりのほとんどで、あの震災の痕跡を目にした。津波浸水区間を知らせる標識。海を見ようとしても視線を遮る高い防波堤。何かがあったはずの場所は、更地のままだったり、公園として整備されていたりする。綺麗に整えられた風景の中に、時間だけが取り残されているようにも感じた。
気仙沼で出会った人は、当時のことや、今も残る課題について話してくれた。落ち着いた口調で震災の話をしてくれたが、その内容はあまりにも壮絶だった。立ち寄った食堂でも、隣の席から聞こえてきたのは震災の話。15年経った今も、あの日の出来事は、この土地の日常の中に続いていた。
基本情報
三陸復興国立公園
指定:1955年5月2日(陸中海岸国立公園として指定)
拡張:2013年5月24日(三陸復興国立公園として指定)
面積:陸域28,539ha、海域72,835ha
エリア:青森県・岩手県・宮城県
撮影時期:2026年3月上旬
撮影時間帯:朝から日没まで
目次
1. 気仙沼から陸前高田へ2. 海とともにある暮らし
3. 断崖と鉄道、北へ続く風景
4. 自然とともに生きる場所
1. 気仙沼から陸前高田へ
旅は、曇天の気仙沼から始まった。荒れた海を背に立つ「龍の松」を見たあと、街を見渡せる高台へ向かう。その途中、GORDON MILLERに乗り始めてから初めてヒッチハイカーを乗せた。香港から来た彼は、車に乗るなり「このVAN最高だ!」と笑っていた。
気仙沼市復興祈念公園からは、大きな被害を受けた市街地を見渡すことができた。海側には、復興の象徴でもある気仙沼湾横断橋と新しい港町。山側には、区画整理された町並みに、多くの復興住宅や新しいお店が並んでいた。手を取り合うふたりのオブジェが印象に残っている。
その日のうちに陸前高田へ向かった。星空の下で見上げた奇跡の一本松。夜は風が強く、3月の海沿いはまだかなり寒かった。翌朝、道の駅に併設された伝承館を訪れる。被災された方の話や当時の記録が細かく残されていた。その後、長く続く堤防を歩いた。かつて松林が並んでいた海岸。奇跡の一本松を除いたそのすべてが流された。高田松原は、かつて白砂青松の景勝地として親しまれていたという。今では、植えられたばかりの背の低い松の木が並んでいた。



2. 海とともにある暮らし
荒々しい岩礁地帯が続くことで知られる碁石海岸では、穴通磯を訪れた。三つの穴が空いた奇岩の向こうに見える山々は、どこか色を失っているように見えた。あとから大船渡温泉で出会った漁師さんに、それが昨年の山林火災の影響だと教えてもらった。三陸では、美しい景色のすぐ隣に、自然の厳しさがあるのだと、改めて気付かされた。
次の日、荒神海水浴場で人気の少ない浜辺を散歩したあとは、山田町へ。半島に囲まれ、波の穏やかな湾内には、牡蠣や帆立の養殖いかだが見渡す限りに浮かんでいた。この土地を生かした養殖業が盛んな地域らしい。
その後は、宮古市にある景勝地・浄土ヶ浜へ。青い海に白い岩。存在感ある岩の連なりが印象的だった。名前の由来は、何百年も前に「極楽浄土のごとし」と言われたことから来ているらしいが、その時代の浄土ヶ浜がどんなところだったのか、とても気になった。
この旅では珍しく、観光客が多い場所だった。学生くらいの三人が、座り込んで景色を見ながら話す後ろ姿が、とても良かった。同じ場所でも、人によって過ごし方や感じ方は違う。それも国立公園の魅力のひとつなのだと思う。
震災メモリアルパーク中の浜は、震災前はキャンプ場として賑わった場所。震災後のままに残された炊事場やトイレ。津波がどの高さまで来たかを記したサイン。その高さは21メートル。展望台からは穏やかな海が見えた。それでも、この海が脅威へと変わる瞬間があったことを、この場所は伝えている。



3. 断崖と鉄道、北へ続く風景
晴れた日の海沿いのドライブは、とても気持ちが良かった。青空と海を横目に、北山崎展望台へ向かう。松林を抜けた先にあったのは、感覚がおかしくなるほど巨大な断崖だった。高さ200メートル近い断崖が、遥か先まで続いている。壮大な景色だった。日没後は、海沿いに車を停めて、うす紫色に染まった空を眺めていた。
次の日は、橋を渡る三陸鉄道を見に行った。橋を駆け抜けていく瞬間を撮れるかと思っていたが、列車は橋の上でゆっくり停車した。そこからの景色がいいので、少し停車して景色を眺める時間を作るという、粋な計らいだった。
その後、久慈市へと向かい、小袖海女センターへ。この時期は素潜りをしているところを見ることはできなかったが、この地域に根付く海女文化について知ることができた。三陸を旅していると、魅力的な岩とたくさん出会う。この場所にも夫婦岩と呼ばれる岩があり、男岩と女岩がしめ縄で結ばれ、頂には赤磯大明神が祀られていた。赤褐色の岩肌が、青空に美しく映えていた。
横沼展望所から見えたのは、入り組んだ岩礁と穏やかな海だった。北山崎とはまた違う景色。静かな海なのに、ウミネコの鳴き声だけが騒がしいくらいに響いていた。




4. 自然とともに生きる場所
最終日は、早朝の種差海岸を歩いた。雲に覆われた海を、ただぼんやり眺める。それだけで十分気持ちが良かった。朝市で海鮮を食べたあと、朝風呂へ向かう。漁師町として栄えた八戸には、今も朝風呂文化が残っているらしい。柔らかな光が差し込む壽浴場で、旅の疲れを癒した。
市場で大量のリンゴを買って、最後の目的地である蕪嶋神社へ。今では陸続きになっているが、もともとは海に浮かぶ小さな島だったという。その環境もあって、天敵から守られる蕪島はウミネコの繁殖地となった。毎年春になると、数万羽のウミネコがこの島へ戻ってきて、島全体が糞で真っ白になるらしい。それでこの旅中にも、至るところでウミネコの大群を見かけたわけだ。
人が自然とともに生きていくためには、暮らしを変えていかなければならないこともある。その変化によって、風景は少しずつ姿を変えていく。それでも、同じ場所で生き続けてきた動物たちの存在に、そっと寄り添うような優しさだけは、失ってはいけないのだと思った。そして、そういう優しい場所が日本にはたくさんあるのだとも感じた。
美しい自然の風景と、そこに重なる記憶。そして、人々はそれと向き合いながら、この土地で暮らしを続けてきた。三陸復興国立公園は、ただ自然を味わう場所ではなかった。過去と向き合いながら、海とともに生き、暮らしを続ける人たちがいる。その風景を、自分の目で見ることに意味がある。そんなことを強く感じた旅だった。
もちろん、この場所にはたくさんの魅力がある。雄大な自然、美味しい食、気持ちのいい温泉、そして人の温かさ。三陸には、旅を豊かにしてくれるものがたくさんあった。前を向いて暮らしている土地だからこそ、そこに流れる時間や景色は、より深く心に残るのかもしれない。ぜひ多くの人に訪れてみてほしいと思う。自分もまた必ず訪れるだろう。




National Park Photographer/Videographer
Ryuhei Hata | 秦 竜平
学生時代に旅したアメリカの国立公園での経験が、自然を記録する原点となる。現在は、雄大な自然の中で人が暮らし、文化が育まれてきた日本の国立公園に魅力を感じ、その風景を写真・映像で記録している。



